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2024/04/19

1030年12月 前


▼十二月
 
 
ついにこの時が来た。
 
 
朱点童子を打倒する為、この一年に全てを賭けて自らを鍛え上げた。
 
 
そして、今大江山の門が開き、朱点童子までの道が開かれている。
 
 
 
一族の悲願成就。
 
 
 
朱点童子を殺しさえすれば
 
 
 
……本当に殺せるのか?
 
 
 
秋葉春近は悩み迷っていた。
 
朱点童子を討伐することは一族の悲願であり、それを叶えるということは即ち当主としての仕事である。
だが、もし、今の一族の力を見誤り、無謀な戦いを挑めば敗走は必至。
 
 
敗走。
 
 
命を賭したものが敗れる。それが意味するものは死。
 
 
死は覚悟している。だが、それだけでは無駄死になのだ。
ただただ、一矢すら報いることも出来ずに死んでいくのだ。
 
そんなものは戦いじゃない。そんなものは意味がない。
当主として、そんなもの到底認められない!
 
 
 
いろは「なぁにが当主としてだ。ただ、貴様が死ぬのが怖いだけだろうが」
 
春近の迷いを黙って聞いていたいろはは聞き終わるとそう吐き捨てた。
いろはは春近に相談したいことがあると告げられ当主の間に赴いたが、春近の口から出てきたのは弱音だった。
今の春近から最も聞きたくない言葉である。
 
一族を慮り、当主として悩む春近にはその言葉はあまりに無神経に聞えたが、実際、いろはの言葉は春近に対して一定の侮蔑を含んだいた。
 
いろは「貴様が一人で怖がるのなら一向に構わない。貴様は所詮其の程度の男だということだ」
 
いろは「だが、それを当主の言葉として語るというのなら捨て置けんな。そんな腑抜けた当主など必要ない」
 
いろは「貴様の様な愚弟にもわかりやすい言葉で言ってやろうか?」
 
 
 
「貴様は当主に相応しくないと言ったんだ」
 
 
 
いろはは冷やかな目で春近を見据えながら告げた。
その言葉は春近を突き刺し抉ったが、敢えて言い返そうとはしなかった。むしろ、自嘲気味に受け入れたというような面持ちでいる。
そんな春近の態度にいろはは苛立ちを隠さずに舌打ちをした。
 
いろは「何か言い返したらどうなんだ?」
春近「言い返すなんてそんな、姉さんがそういうならそうなんだろう」
 
 
いろは「…甘ったれるなよ」
 
あくまで態度を変えない春近に、業を煮やしたいろはは胸倉を掴んで引き寄せた。
今まで鬼を圧し斬ってきた鋭い其の目が春近を見つめる。
 
いろは「貴様は当主なんだろう?貴様がそんなザマで一体どうするんだ?」
春近「そんなのは…わかってる」
 
春近は目を伏せて、いろはから顔を背けた。
目を合わせようとすらしない春近にいろはの苛立ちは募っていく。
 
いろは「わかってるだと?何がわかってるんだ。無様な醜態を家族に曝すことか?」
春近「……好きでこんなことを言ってるんじゃない」
いろは「…なんだと?貴様其の言葉の意味、わかって言ってるんだろうな?」
 
 
春近「…俺は姉さんとは違うんだ!!」
 
春近「俺は姉さんみたいにはなれないんだ!!」
 
 
 
春近「俺なんかじゃなくて姉さんが当主になればよかっただろ!!!」
 
 
 
叫んでいろはの手を振りほどくよりも先に春近は吹き飛ばされて、部屋の襖にぶつかるように派手に倒れた。
 
倒れた春近を睨みつけ見下ろすいろはの手には、拳が握られていた。
興奮したように肩で息をしながら、その震える手を必死に押さえつけようとしているようだった。
 
殴られた春近は呆然としていろはを見ていた。
春近の知っているいろはは厳しい人物ではあっても、暴力を振るう人間ではなかったからだ。
そんないろはに拳で殴られた。春近は何が起きたのかわからなかった。
 
 
 
 
いろは「いい加減にしろよ、お前」
 
 
 
硬く握りしめても手の震えが止まらない。
 
この手を緩めたら
 
きっと
 
 
 
春近を殺してしまう
 
 
 
いろは「わたしが当主になればよかっただと?わたしみたいになれないだと?」
 
お前になにがわかる
 
いろは「女のわたしに向かってよくそんなことが言えたな」
 
 
お前なんかにいったいわたしのなにがわかる
 
 
いろは「子供も産めない。後を継ぐことも許されない。そんなわたしによくもそんなことが言えたものだな」
 
 
 
お前さえいなければ
 
 
 
いろは「わたしがいったいどんな気持ちでいたと思う?わたしがいったいどれだけ傷ついたと思う?」
 
 
その言葉は途中から春近に向けられたものではなくなっていた。
 
信じ慕い続けた大切な人に裏切られた悲しみ。
 
 
 
 
 
いつまでも父にとって特別な存在でいられると思っていた。
 
 
 
 
 
 
いろは「どれだけ裏切られたと思う!?わたしがどれだけ父さんを慕おうと!どれだけ期待に答えようと思ったか!」
 
いろは「わたしはただ!父さんに、父さんの期待に答えたかっただけなんだ!!」
 
 
 
いろは「それなのに……!!お前が生まれた!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし、弟が生まれたその日から自分は特別ではなくなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
いろは「お前が生まれた日から父さんの期待はお前に注がれた。父さんにとってお前は生きる意味の全てだった」
 
いろは「お前が生まれたせいで私は、私の生まれた価値も、私が生きている意味も、」
 
 
 
 
 
 
おまえなんか
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
生まれてこなければよかった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「そこまでにしなさい!いろは!」
 
 
その言葉でようやくいろはは気が付いた。
自分が過ちを犯した事に。
しかし、すでにあふれ出した感情を止める事は自分ではできなかった。
 
そんな歯止めの効かなくなったいろはを制止したのはきららだった。
 
 
きらら「…いろはは自分の部屋に戻りなさい」
いろは「……」
きらら「……お願い、戻って」
 
 
きららもそう言うのが精一杯であった。
いろははその言葉に返事をせず、無言で部屋を出て行く。
その表情には憎悪と後悔の入り混じった感情が張り付いて陰を落としていた。
 
 
いろはが部屋から出て行くのを見ながらきららは倒れている春近の下に寄った。
 
きらら「春近、大丈夫?口から血が出てる」
春近「はい、大丈夫です。ただ、殴られ慣れてはいないので」
 
きららに言われて初めて自分が口から血を出していることに気が付いた。
どうやら、殴られて口の中を切ったらしい。
 
春近「……姉さんに殴られたのも初めてでしたし」
きらら「そうね、いろはがあなたに、家族に手を上げたのは…初めてね」
 
 
春近「姉さんのあんな表情を見たのも初めてでした。あんなに感情を顕わにしたのも」
 
いろはの居た場所を見つめながら静かに呟いた。
 
 
春近「俺は姉さんの事を何も知らなかったんですね。何も」
 
春近「後継の事も、家族の事も、当主の事も何もわかってなかった」
 
春近「実の姉の気持ちすらわからずに一体何が当主と言えるんです?」
 
自嘲気味に漏らす春近の顔に手がそっと触れた。
 
 
きらら「あなたは立派な当主よ。家族の事をいつも考えてる、家族が一番大好きな、そんな当主よ」
 
春近「……」

 
きらら「だから、もう泣くのはやめなさい」

 
きららは涙で顔をグチャグチャにした春近を優しく抱きしめて、子供をあやす様な言葉で諭した。
止め処なく溢れる涙は春近の生きてきたすべての感情だった。
いろはと弥彦と一緒に過ごした短い時間の感情が溢れて止まらなかった。
 
きらら「春近は昔から優しい子だったものね。いつだって家族想いの優しい子」
 
きらら「弥彦様といろはにずっとくっついて、どこに行くにも付いて行ってた事もあったわね」
 
きらら「子犬を拾って、兄上にイツ花と一緒に怒られた事もあった」
 
きらら「あなたは優しくて強い子。みんなあなたが大好きなのよ」
 
 
 
きらら「だから、大丈夫」
 
 
 
きららの言葉は暖かく、春近の心を包んだ。
 
 
春近「……ありがとうございます。でも、俺ももう子供じゃないしやっぱり恥ずかしいです」
 
落ち着いた春近は、きららに抱きしめられている事が急に恥ずかしくなって離れようとした。
そんな春近を離さずに、逆に頭を撫でて子供扱いをするきらら。
 
きらら「私からしたらまだまだ子供よ…ゴホッゴホッ!」
春近「だ、大丈夫ですか!?やはり寝ていないと!」
きらら「大丈夫、まだ死なないから。きっと、みんなが朱点を倒して呪いを解いてくれるって信じてるから」
春近「…はい、必ず倒してみせます」
 
 
 
きらら「もう、頭撫でられなくなっちゃったわね」
 
 
 
 
 
朱点討伐まであと二日


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