▼五月
【時定交神】
春近「時定様ー、どこですかー」
バタバタと不躾な足音が廊下から聞えてきた。こういう無粋な人物は我が家にはそうはいない。春近だ。
あれほど名前ではなく、「当主 嗚鐸」と呼べと言ってあるのに一行に直す気配がない。
彼の父である弥彦もそういうところをなぁなぁで済ませていたところを見るに、そういう家系なのだろう。
一族の後継として、当主としての自覚に欠けているというのはいささか問題だ。そういったことも今後伝えていかなければいけない。
時定「騒がしいぞ、春近。今日は私の交神の日だというのを忘れたのか?」
春近「あ、時定様、こちらにいましたか!」
時定の声に気付くとすぐに部屋にやってきた。まるで飼い主を見つけて、喜び勇んで駆けつけた犬の様だ。
時定はこの春近がどうにも苦手だった。
なにかというと騒がしく、知性に欠けた話し方、品性の欠片も感じさせない佇まい。そのどれをとっても自分に相容れないものだ。
なぜ、この家にこんな輩が誕生したのか甚だ疑問の時定であるが、むしろここまで品行方正な時定の様な者の方が珍しい。
時定「それで、一体どうしたんだ?交神の準備している私を捕まえてまで話す必要のある、重大な用件なのだろう?」
春近「はい!我が家の庭に犬が迷いこみました!」
時定「 は? 」
一体何を言っているんだこいつは?今日がどういう日で、私が一体どういう状況なのかわかっているのか?というか、こいつはそんなことの為に私の部屋までやってきたのか?馬鹿なのか?どうかしているんじゃないのか?犬が庭に来たからなんだというのだ?本当にお前はそれが犬だと理解できているのか?それは本当に犬か?
時定は激しく混乱した!
交神というのは、一族にとって比べるモノのないほど大事な儀式である。それはこの家に生きる者ならば誰しもがわかっていることである。
特に一家の男子であるのならばそれが他人事でないことくらい、少しでも考えればわかることだ。
時定(なのにこの男ときたら…!こいつ自体、犬並みの知性しかないんじゃないのか?)
時定「……お前が私を呼びにきた理由はわかった…。それで、その犬はどうしたんだ?」
春近「はい!ここに!」
時定「ここに…?」
よく見ると春近の懐には子犬らしき毛が見える。モフモフしている。
どうやら庭に迷い込んだ犬というのは子犬の様だ。それを大事に懐に抱えてここまでやってきたということらしい。
時定は絶句した。
犬が迷い込んだのを当主に報告するというのは百歩譲ってまだよしとしよう。しかし、それをここまで抱えてきて一体どうしようというのだ。
春近「こやつめはどうやら腹を空かせていたので、昨夜の残り物を与えました!」
時定「……」
春近「イツ花が言っておりましたが、飼い主がいなかった場合は我が家で引き取ったほうがいいのではないかと!」
時定「………」
春近「ちなみにもう名づけておりまして、名前h」
時定「うるせぇ!!!さっさとその畜生を持って下がれ!!!」
堪忍袋の緒が切れた時定によって、熱弁を揮っていた春近は部屋を追い出されてしまった。
しかし、追い出された当の本人はなぜ追い出されたのか理解できずにいた。
おそらく、これからも理解することはないだろう。
時定「まったく、この交神が終わったらあの馬鹿に説教してくれる」
▼六月
【白骨城討伐】
あおば「時定、ここに座りなさい」
その突然の言葉に時定は同様を隠せないでいた。
普段、おっとりとして厳かとは対極に存在するかの様なあおばが改まって時定を呼びつけたからだ。
時定は言われるままに自室で寝ているあおばの下に寄った。
時定「はい、ここに」
あおば「私は先日より、体調が優れません」
時定「はい、それは存じ上げております」
あおば「ならばわかっておりますね」
時定「は、はい、それは姉上の寿命があおば「私の肩を揉みなさい」
時定「尽きかけ……は?」
あおば「だからぁ、お姉ちゃんの肩をもみなさい」
時定「え、あ、はい」
時定は豆鉄砲を食らった顔をしながら、黙ってこりを解したところでハッと気付いた。
時定「あ、いや、あの」
あおば「あぁ、きもちいぃ。やっぱり、肩をもんでもらうと生き返るぅ」
時定「え、聞いてますか?」
なぜ、自分はこの姉の肩を悠長に揉んでいるのだ?
時定は肩を揉むのを一旦中止し、改めて用件を聞くことにした。
時定「私を呼びつけた用件というのは?」
あおば「ううん、こんだけぇ。ずっと横になってたから肩こりがひどくってさぁ」
時定は黙って席を立った。
あおば「あ、ウソウソ!そんなことないって!もっとほかにも用あったからぁ!」
時定「ほう、他にもあるのですか。例えば?」
あおば「えっとぉ……遊びあいてとか?…………だからぁ待ってってばぁ!!!」
無言で部屋から出ようとする時定の足にしがみついて必死に引き止めるあおば。
それを眺める時定の冷ややかな視線があおばに突き刺さる。
あおば「ゴホンッ、えっとねぇ、体調が悪いっていうのは本当。朝からなんか気分がよくないみたい」
時定「最初からそう言って下さい」
あおば「だってぇ、そんなこと言ったらすぐに心配しちゃうじゃん」
時定「当たり前です。それでどのような体調なのですか?」
あおば「うーん、ちょっと血をはいちゃうくらいかなぁ?」
時定「すぐにイツ花を呼んで参ります」
あおば「あ!ほんとうにだいじょうぶだからぁ!」
時定「何が大丈夫なんですか!?明らかに具合が良くないじゃないですか!」
あおば「ほら!あたしよく血吐くじゃん?」
時定「この期に及んで何をしょうもない嘘を言ってるんですか!?」
あくまでしらばっくれ様とするあおばに、時定は実の姉ながら呆れてしまった。
確かにあおばは日ごろからくだらないことで家族の気を引いたりする様なことはしていたが、今回の様に自身の不調を隠すようなことはなかった。
恐らく、体の不調は相当深刻なのだろう。
時定「とにかく、イツ花を呼んで参ります。どうか、安静にしていてください」
あおば「うん、わかったからぁ」
あおば「でも、イツ花を呼ぶ前にもう少し傍にいて。ね?」
時定「姉上…………髪を引っ張らないで頂けますか?」
あおば「てへへへ」
こんな自分に対して時定は、家族は嫌な顔一つせずに相手をしてくれる。
自分が抜けていることも、家族に迷惑をかけていることもわかっているつもりだ。
もし・・・もし、神様がこんな自分を見ていたとしたらどう思う?
いけない子だって叱るかな?
ほら、あたしはいけない子だよ?
あおば「あのねぇ、時定」
時定「なんですか?」
あおば「ほんとうは神様なんていないのかもしれないね」
時定「え?それはどういう…?」
あおば「神様なんてほんとうはいなくて、あたしたちも神様の子供なんかじゃなくて、普通の子供なの」
あおば「みんな、神様なんかじゃなくて、普通の人なの」
あおば「だって、神様がほんとうにいるなら、あたしなんかとっくの昔にバチがあたってるよぉ」
神様はどこにいるの?
時定「……」
あおば「なんてね。お母さんも神様じゃなかったらいっしょに暮らせたのかなぁ」
時定「…私達は神である母上の加護を受けているのですから、バチだなんて」
あおば「そっかぁ、お母さんが見守ってくれてるんだよねぇ。うん、時定良いこと言っゴホッゴホッ!」
時定「姉上!大丈夫ですか!?待っていてください!今、イツ花を呼んできます!」
時定は急いでイツ花を呼びに、部屋を飛び出していった。
部屋に残される形になってしまったあおば。
ふと見やると、今しがた咳き込んだ際に吹き出した濁った血が小さな手を染めていた。
これが
この体がバチ?
あおば「なぁんだ、やっぱり神様はいるんだね」
神はいた。ただ、それを胸に彼女は静かに息を引き取った。
PR
2012/05/05
秋葉一族